とみお。のブログ

ひらめくままに!思いつくままに!!

2011年後期

[E:danger]ご遠慮ください。ここはネガティブワールドです。

2011年後期

会議中に会長が私へ「大阪で暮す気ないか?」となんの説明もなく突然尋ねてきた。何かの変化を起こす時に不意を突くのが会長のやり方で、ここで私が「いいかもしれませんね」などと答えようものなら、そこから切り開かれますから注意が必要です。

直ぐ思い浮んだのが私の会社への提案です。私は昨年から大阪事務所を立ち上げて、もっと本腰を入れて西を攻めたいと考えていました。特に大阪は業界としても競合他社が多く、市場が激戦区にもかからわず攻めきれていなかったからです。ここに陣を構えて本格的に攻めないと、競合他社に溝を開けられかねません。もっと言えばこの業界への追い風は競合他社を打ち崩すチャンスでもあったからです。しかしそのとき幹部は無反応で、昨年の社長面談のタイミングで正式な提案をしてもこの話題にはノータッチでした。

率直に今さら?と思いました。その後も数回同じような振りが会長からありましたが、私はこの話題に踏み込まず流しました。会長には他に考えがあるのかもしれませんが…。私は守備に転じる事と、すでに大阪進出へのモチベーションが落ちていたからです。

関連して、社内がなぜまとまらないのか?簡単な話です。会社が緩んでいるからです。なぜ緩んでいるのか?それは上司が緩んでいるからです。なぜ上司が緩んでいるのか?それは会社として大きなことにチャレンジしていないからです。

業界が成長しているから、なんとなく勝手に売り上げが上がり、大したことをしなくても社員の給料が払われている。春の平和ボケ…これは会社にとって危険な季節です。世界は不況の大寒波だというのに。

これを油断と言います。この社内の緩みは油断に直結しており、この油断は経営陣の持っている油断そのものです。だから直すのは簡単です。経営陣が締まればいいのです。でもみんな自分では気が付かないんですよね…そのくせ他人に注意されてもダメ。自分で気づかないと自分を動かせないんですよ。それを気づかせてくれるのは己の危機感でしょう。そしてこの会社が危機を感じるのはおそらく会社が下に傾きだしてからでしょう。

危機感のアンテナは経営者にとってとても重要な能力です。今までは会長が感度のいいアンテナを張り巡らせ、早い段階で徐々に進路を変えていたからいつのまにか回避できていました。今まで平和に暮せて来れたのは危機を回避するために、いろいろなチャレンジを事前にしてきたからです。大きな問題が起こり後手に回ってはもう遅いのです。小さな問題すら事前回避できていないこの会社に、大波が予測できるわけがありません。予測しなければ的確な備えも難しいでしょう。

エピソード・ハッピー

夏のボーナス。ある会食の場で会長から「業績がいいのでボーナスのことを考えているのだが、夏に出すべきか冬にまとめて出すべきか?他に何かいい案はないものか?」と言っていたので私は「各部署に懇親予算を出してほしい」と提案しました。これが実現して各部署に人数分の特別予算が出ました。この予算は各部署の課長が自由に使えるもので、予算の範囲内であれば何をしてもいいというプラチナ予算です。相談や報告(会計報告あり)もいらないという、全責任を課長に委ねた企画です。ポイントは会社が予算を出しても口を出さないところです。

1人当たりけっこうな予算金額をいただき、しかも課長に全責任を委ねる。これにはいろいろ意味があります。課長の責任感の向上や企画実効力の向上、チームの統制力などなど。その他にも課長たちの技量や特徴、その部署の状態やポテンシャルを観察することもできます。角度を変えていろいろ社内の情報が得られるいい企画です。

ある課長は部下と相談して食事会をした。ある部署は部下とレジャーを楽しんだ。ある部署はするのかしないのか?分からない。課長の特徴が出ました。

私は予算が出たその日に一席設け、部下たちに案を求めました。するとほとんどが現実的過ぎて、それって日頃できるし、それは普通予算でいいんじゃないの?となかなか振るいません。最終的には私が「企む」と宣言して解散となりました。それからあっという間に時が過ぎ、プランはできていたのですが実行する日が取れないんです。この時期は業界のハイシーズンであり、部署内の全員が共有できる時間が取れないのです。間違いなく全員がフル稼働で頑張っています。そして私は強行にその日を決め、通常勤務時間より早く会社を切り上げるので、会社に事前稟議を提出して許可もいただきました。それでも当日は各場所で忙しくミーティングが行われ、誰もがその場を離れることが困難でした。ある者はアメリカ出張の準備、ある者は展示会の打合せなど、誰もが重要なことに対応していました。でも私は頑固に部下全員へ4時に手を空けて集合するように告げました。

この状況に反応したのが常務でした。たぶん会長が常務に「営業部は今日何があるんだ? 」と問われて、常務が部長に「営業は今日何するんですか?」となり、部長が私に「なんか上が騒ぎ出したけど?」となったのだと考えられます。私は許可された稟議を持ち出して確認してもらい、プランの全貌をプリントして提出しました。これがプランスタートの1時間前です。こんな直前に大騒ぎになりました。なぜ営業部のやることを部長が知らないんだ?となりました。事前にやるべきことはやっていたつもりでしたが、事前相談なしのルールをうのみにしてしまいました…部長すみません。

さー、営業部のプラチナ企画スタートです。テーマは「遊び疲れる」の巻。

16:00 会社前にハマーのリムジンが到着。少し遅れて慌ただしく7名が乗り込みます。

出発して早速ドンペリで乾杯 *このリムジンにLady GaGa様など有名な方が多く乗ったそうです。

17:00 浦安にてヘリコプターを1台チャーターして遊覧飛行へ。まだ建設中のスカイツリーを上から眺めました。いい天気でいろいろ良く観えましたね。

18:00 ディズニーシーにて夕食。お酒をいただきながら目の前のパレードを観る。男だけでしたがなにやら盛り上がってきたので、閉館までアトラクションや乗り物に夢中でした。大人の男7人が大はしゃぎで走り回っていました。…次あれに乗ろう。

ディズニーシーを出てバス内で睡眠に入る者もいます。この時点で「遊び疲れる」というテーマの達成を実感する私です。

22:30 ホテルにチャックイン。もう寝るだけですが、はしゃいで寝つかない者もいます。

これで解散。翌朝は各自で朝食を取って帰ってください。ちゃんちゃん。

濃縮した一生忘れられない楽しい時間でした。

みなさんお疲れ様でした。 *あまりにもアホな企画なので、部下にはこの夜の事を口止めをしましたよ。

会社が適正な利益を出し続けていれば我々も楽しめるということ、アイディアは幅広く考えられることなど、私からのメッセージが伝わっていることを期待したいですね。

会社へは報告書を作って提出し、大変有意義な予算をいただいたことに感謝しました。

N部長エピソード。

私がN部長から顧客を引き継いだ中に、N部長と仲良しのA客がありました。私と担当を後退したにもかかわらずN部長はそのA客とメールで商談しており、N部長お得意の安値で大量出荷していたのです。私の売り上げになるので黙ってましたが、そのA客は強気のクレームを私に迫り、N部長に甘やかされていたことが窺えました。まあ売上急上昇客でしたから…。

そしてあるとき担当を後退して初めて、顧客の売掛金未払いリストをチャックすることがありました。そこでまたもびっくり…ダントツワースト1はA客。なんと取引してから1円も払っていないのです。これ以降私は売掛金回収営業に転じました。

N部長エピソード2

部下K氏が大手客との取引に必要な在庫商品をホールドしていました。そして商談の詰めの段階にきて、そのホールドしていた商品が他のお客に出されたことを知らされます。K氏は勝手にホールドしたのではなく、正しく手順を踏んで進めていたのです。その手順には間違いなくN部長を経由しており、そのN部長が商品を他へ出しているのです。この商品の重要さはN部長が誰よりもよく理解しなくてはならず、K氏はカンカンです。N部長はいつものように箸にも棒にもかからず筋の通らない言い訳を並べ、K氏は納得しないままそれを見習って大手客へ愚痴交じりの言い訳。これではお客も部下もこの会社を信頼するはずがありません。N部長が部下を登らせてN部長がハシゴを外す。

私はこのN部長と部下との通訳も努めました。トラブルが起きるとN部長も部下も筋が通っていないのです。ただただ文句を並べている。お互い何をしたいのか何をするべきなのかがどこかへ消えてしまい、ただの感情と意地の張り合い。お互い大人なのに…。

日常繰り返される社内トラブルの消火も私の仕事。そしてN部長とは信頼関係を築けないのだと深く理解しました。

私はこの会社の企業理念を信じています。その理念を実現するのが私の夢でした。本気でそう思っていました。会長は私に夢を追いかけさせてくれ、私は夢に向かい必死で走りました。

そしてあるとき背負っていた人生のリュックを見てみると、ジップが開いて大切な物をこぼしていることに気がついてしまいました…中身が空っぽでなにも残っていません。なんのために走ってたんだろうか?

私は身の丈を超えた仕事と責任を果たすために必死でした。そのおかげで私自身は入社時と見違えるほど大きく成長できたと思っています。責任を果たすために時間も体力も…そして大切な物も献上していたのかもしれません。

でも夢を叶えるために夢中でした。それってお金じゃないんですよね。だから夢を見ていない人はお金や時間を欲しがるのではないでしょうか?若手社員は残業や休日出勤したらいくら貰えるんですか?という発想になりますが、私はそんな感覚がいつの間にかなくなっていました。そんなの考えたら私は1年以上休んでも給料がもらえるくらいの、代休や有給、残業もろもろが発生しますよ。

これまではそれもこれも夢があるから平気でした。その夢が急激に薄れてきてしまったのです。方向性やモチベーション、何のために何をするのか?我々はどこへ向かっているのか?私と上司が目指しているところ、価値観や立場に大きな溝を感じ始めました。そして夢が遠く離れていくのを感じ、会長が退いた後には夢もなくなると悟りました。

夢が無くなった後の社内はお金と時間を欲しがるでしょう。今までのようには行きせんし、私の価値観の多くは意味が無くなります。私はお金が欲しいのか?そう自分に問いかけると答えはNOです。もちろんお金は大切です。でも離婚した自分は独りですし、その独りが暮して行くには今ほどの高額給料は必要ありません。そう考えた時…夢が無くなったこの会社でいいのか?夢が無ければどこへ行っても同じでは?しかもこの会社の上司を結束させてコントロールするのは無理です。部下は育てればいいが上司にはできません。この上司はあの会長が今までずっと育て、それでもこれなのですから…。

退職はリスクとチャンスが背中合わせです。でもこの会社だけが私のフィールドではないのだと考えると、将来の視野が広がりました。これが私の人生の選択肢に退職が生まれた考えです。辞めても辞めなくてもリスクがあり、自分が選ぶ進路だけにチャンスがあると思いました。そして先ず退職を選び実行しました。なぜなら退職してからでないと次のことを考えられなかったからです。この決意の後、私はただただ退職することに全力を注ぎました。

退職の戦い

先ずN部長へ退職届を提出しました。N部長は自分で考えない人なので直ぐに受け取ってくれました。

次にT常務にバトンが渡され対談。この時期は会長が不在だったので、T常務は時間稼ぎが目的です。これが1回目。

次にT常務と会長が連絡を取ってから作戦を立て直し、第2回目のT常務との対談。居酒屋さんで1対1の対談です。T常務はある程度自分の立場の腹を割って話してくれましたが、やっぱりこの人は責任を背負い切れていないと実感しました。この逃げ腰に男としてグッと来ないのです。残念ながらT常務と私との力の差を感じ、この人にはまだまだ私を理解出来ないでしょう。

次はM社長と対談…と思いきや、大将の会長が直々に御出ましです。そうなんですよ…会長のM社長への評価はこんな程度です。私からするとM社長が成長するチャンスなのに…とおもいます。少なくともT常務は私との対談で少し成長したとおもいますよ。

いよいよ会長と決戦です。1回目は密室で1対1。なんでしょうかこの私の自信は…あの会長を目の前にしているのに、私は負ける気がしていません。そして会長が私へ「それは逃げではないのか?過去の自分の実績を否定することにならないか?」と訊ねてきました。会長にしては珍しく人を追い込む言葉でした。私は「はい、そうかもしれませんね」と返事をしました。

この時すでに私は「逃げる」を選択肢として認めており、自分の人生をさらに良くする為に必要な「逃げ」を選ぶべきだと考えていました。私が将来この会社で定年退職したときに、人生のリュックが同じように空っぽだったなら「私の人生は幸せだった」と思えるでしょうか?その時やり直せるのでしょうか?もしかしたらやり直せるのかもしれません。しかし私にはその希望を感ることができません。誰にでも分かりやすいのは次の具体的な進路を示すのがいいのかも知れませんが、ここにいればズルズルと過ごすだけです。この先この会社に留まるためには自分を殺して、モチベーションを下げて静かに過ごすのが得策です。そして気がつけば定年退職というのも幸せなのかも知れません。

私は将来を長い目で見たとき、先ず逃げるべきと判断しました。今ならやり直せます。人生を立て直せるのです。私の見失っていたことを取り戻せるのです。

私は間違ってしまいました。生活するための仕事が、いつの間にか仕事をするための生活になっていたのです。仕事が一番大切だなんて大きな勘違いをしたのです。一番大切なのは…仕事を言い訳に見失ってしまいました。

会長はもう一つ「なぜ、こんなに会社がいい時に辞める?」私「いい時だからこそ今なんです」会社が下向きに傾いたら私は辞められません。この業界は私から見て少なくともこの先5年は大丈夫ですよ。だから今はお互いに選択肢が多いんです。会社が下向きになったら、会社側の選択肢も減ります。悪い時はやれることが限られますし、やりたくないこともやるしかなくなるんですよ。

1回目の会長との決戦は私の優位でしたが、ここで決着させては会長の立場が無いので相打ちということに。

会長との第二回決戦で、私の決意に揺るぎが無いことを伝え短期終戦

一番つらいいのは私を信頼してくれていた仲間と部下、顧客などなどの別れです。これがまさに私の裏切りなのですから。

この時点で私の裏切りは幹部しか知りません。告知はタイミングを合わせていたので私は誰にも言えず、名目を変えて地方へ交代営業に出ていました。そして来る日に一斉発表され、顧客には「電撃移籍ですか?」なんて言われましたが、業界に残る気は無いので否定しました。ここから辞めるその日までの空気は何とも言えないものがあり、誰もが私との距離を空けて見ています。これってどくとくなんですよね。

営業部で送別会をしてもらえました。感激しました。

幹部と管理職のメンバーが送別会をしてくれました。なのに私が全員へ酒を注いでいる図になるんです。これがこのメンバーの有様。私が間に合わないと会長にすら手酌を…なんだこりゃ?友達との飲み会だってもっと大人の酒が飲めますよ。

その途中で各位から一言ずついただきました。このメンバーは長い付き合いなので、思い出話は尽きることがありません。お互いを知っているって、ありがたいですね。会長からは「おまえには三回いきなり驚かされた。結婚、離婚、退職。」とチクリと一言。私も「いきなり人の生活を変えてしまう人事には驚きました」と言ってやりたかったが、グッとこらえて刀を抜かず済ませました。私は退職の一点突破だったので、辞められればそれでいいのです。もしまた引き止められたら、きっとその時こそ刀を抜いて暴れたとおもいます。

二つの送別会も社内でのみんなへの挨拶の場でも、私は涙を出しませんでした。たぶん辞めることに集中できていたので、気が緩むことはなかったのだと思います。根拠はないのですが、なにか遠くの将来を見ていたというか…辞めて必ず自分を見つけ出すと決意していたからかも知れません。

それと振り返らず、感謝せず、これからの会社の事も想像しませんでした。辞めるためには頭の中を空っぽにして、神経を一時停止させたからでしょう。神経のスイッチが入っていたなら、私の心は間違いなく崩壊していたと思います。

私は残された最後の力を振り絞って、この会社を全力で逃げ出しましたとさ…。