とみお。のブログ

ひらめくままに!思いつくままに!!

2002〜2007

注意:ここはくだらない愚痴です!

私にとって人生のターニングポイントになった2002年[E:sign03]
この年に大きな出来事が重なった。一つはアメリカの親会社が破綻して会社が日本法人になったこと、1つは社内リストラで倉庫から営業部へ、倉庫主任から新人営業マンへ社内移動!もう1つは結婚!そしてもう一つは長男が誕生して父になった!と…なにもこれほど詰め込まなくても、というくらい忘れられない年になってしまいました( ^ω^ )
 

何を隠そう私は人嫌い!倉庫や物流、技術系をやる方に人苦手って少なくないのではないでしょうか?一番やりたくない仕事が営業だった私・・・だって倉庫をやるから入社をOKしたのだから・・・。実はこのチャレンジ初めから相当キツかった(。>0<。)

先ずはなじみのない本社勤務へ活動拠点が移り、まるで転職したかのようなアウェイ感が日々続くのでした。やがて始めての営業担当店を60店ほどいただいたが、見習い期間として東京都の外れと神奈川県の外れといったところ。このころ私は辞めると思われているので、上司も本気で育てる気がないということを私は感じていました。仕事に必要なノートパソコンを他の方は会社から支給されたが、私は自前で購入。営業担当先は今までの営業マンが行かなかったような場所ばかり。

このタイミングで先輩営業マンが一人辞めてしまい、その方の担当地区の美味しいところを除いたお客様を私が引き継いだ。この先輩営業マンが辞めた理由はいろいろあるだろうが、一つは営業活動が腐ってしまっていたからだと私には判った。請求金額未払い店や訪問の怠けなど、おそらくこの先輩は仕事が楽しくなかったのではないだろうか?引き継いだ私のアポイントは「こなくていいよ」という客先のジャブをいただくことから始まる…これは今までの会社が強気で商売してきて、親会社が倒産したことでやり返されている部分と、小さな客先をほったらかしていたことの表れなのです。営業マンが怠けていても売り上げが右肩上がりだったから、怠けていても売れてくれる商品を持っていたから…ようは自分達の力ではないのに天狗さんだったのだ。親会社が破綻したことで我慢していた周囲の方々が、この会社に石を投げつけるのです。私はまさに商売の逆風の中に飛び込んだのでした。


一年目は「今までおたくの会社のはもう売れないよ・・・」と言った手のひら返しの始まったタイミングで、恨みにも似た発言など防戦一方な私…次第に自社の外からの評価や実態、状況が理解でき始めて悔し泣きしする日々でした。やがて上司の指示通りでは売り上げ目標金額は必達できないと考え始めた。なぜなら相変わらず強気とその裏外しの値引きに頼っていたからだ!もう時代が変わり即効性のある値引きは塩水を飲むが如く将来をむしばむと感じていた。事実として日銭を稼がなくてはならないし、在庫も減らさなければならないのは分かる。しかしそれ以上に新たなスタートも必要だと思えた。

私は営業業務をほとんど教わらずに営業現場に追い出された。右も左も判らず何をどうしていいのか?信じがたいだろうが顧客リストを渡されて「行って来い」と言われて事務所を追い出される・・・これだけ!なのでこれを幸いに営業スタイルは自分で決められるのだと考えた。ここまで私の担当店は旨味がないと書いたが、それは今までのやり方ではそうでありお客様のポテンシャルは無視されていた。私はコツコツ訪問して一つ一つのお客様を伸ばせる手応えを感じていた。そこで小粒かもしれないが一つ一つ少しずつ伸ばすことにした。とても非効率で他の営業マンだったら嫌がり、とくにコツコツやるのは上司に嫌われるやり方「なにをもたもたやってるんだ経費の無駄だろ」ってね(`Д´)いろいろ言われながら上司には我慢してもいました。*言い方を変えれば上司の指導を無視しました。

そして2年を待たずに私の営業方法は芽が出始めた!私の売り上げは上がり始め、手応えが出てきた。こうなってくると売り上げはガタ落ちもしないし、怠けなければ徐々に伸びる方向へ進む!
(v^ー゜)ヤッタネ!!

このころまた営業担当地区が変更になり、ある日の営業会議で「これ新しい担当地区」と渡された顧客リストには九州、沖縄県、東北地方と日帰りできない地区ばかりの内容が…これを隣で見たベテラン営業マンですら「これ私でも固まりますよ」とえぐい内容が”明日から”これでお願いしますと上司の言葉[E:shock]
この瞬間硬直しました…私は新婚で奥さんは妊娠中・・・。しかも社会人になるまで関東から出たことないくらい、外に出た経験も少ないのですから!飛行機も乗ったことないし、自分で新幹線の切符も乗ったいとないほどです。
どうしようアワ*1ワワ!!

この他にも土日曜と日曜日は事務所で問合せ応対もしていたし、イベントにも出向いて営業していた。しかも上司は必要な日の前日に「明日の事務所担当が決まっていないから…」と私に振ってくる。なぜなら私は断れないから…それを知っていてイベントも事務所当番も始めから決めていないのだ。先輩営業はいい顔しないし、言いやすい人に振るのがお決まり。そこである営業会議でスケジュールを決めませんかと提案して、私は「今からなら調整できるのでいつでも」と言うと…結果今月は全部私にお願いしますとなったモヒャ━━*2━━!!!!!! これ冗談ではないのです・・・実際に一ヶ月間全部の土、日が私の当番になり務めました!結局提案してもしなくても私がやるのですよ…これが私の扱い!
この人間部分!理不尽な事は誰にでも理解できているが、シェアとか平等を考えないことが悲しかったですね。この会社に入って人を信頼できない環境が一番辛かったな~(u_u。) 

そんな営業部に入って半年以上休みなし、平日は地方出張が当たり前で家には不在。この時期妻は妊娠中で心配ごとは山積み。ある時イベントがショッピングモール内部で行われるので、妻を連れてイベント会場へ向かうことにしました。私が仕事中でも妻に買い物など遊ぶ時間が出来るし、自動車移動中の車内で少しでも会話できると思ったからです…それくらい時間が欲しかったですねこの時期!
そして翌日出社して朝から会社のNo1とNo2から呼び出されて会議室へ…「なぜ仕事先に奥さんが来てるんだ?」って驚きの問いΣ(・ω・ノ)ノ!
仕事に私情を持ち込むなとのこと!おっしゃる通りです…でも仕事に妻を立ち会わせていないし、私情に仕事がはびこっているんですけど…って言えないほどピリピリしたムード!会社として良く無い事態が起きていたのでピリピリするのは分かるが、ペイペイの私に二人掛かりとは?
これがこの会社のムードってこと( ゚д゚)ポカーン

やがて私の営業成績が高まり、力が付き出したと判断した会社は私に大阪府奈良県和歌山県を加えて関東を引き離した。これは関西担当の先輩営業を社内に戻してマーケティングを任せる組織編成!関西はこの先輩営業が始めから任せられており、その剛腕ぶりは関西に知れ渡っていたほど偉大な営業マン。そして先輩営業マンは関西出身のホーム、私は駆け出しの完全アウェイ!しかも全国の居客の中でも大阪府は売上上位店ぞろいの激戦区なのです(@_@)
アウェイぶりはすぐに現れ「関東弁は嫌いなんじゃ」といきなり言葉のパンチをもらうことも!なかでも剛腕営業の縛りが解けて離れるお店や「いやー前の営業さんは相手にしてくれへんかったからな~」など様々。地区の売り上げを見ると上位10店が全体の8割を売り上げるというあり得ないバランス!前任者は特定の顧客から絞り出すスタイルだったことが読み取れる!
この時私の顧客は400店を超えており、一番高い売上目標金額が会社から設定された。
地方はどこもそうだが右も左も分からない!片っ端から訪問してお客様のポテンシャルと街の雰囲気を知り、自らが理解して判断するのがいつの間にか私のやり方になっていた。
そして分かったのは先輩営業の売り上げていたお店は伸びないということ…たしかに超優秀な顧客だが一店当たりのシェアが高すぎ、それまで押し込んだ商品の売れ残り具合と、これからのユーザーの好みが細分化して行く流れを考えたからだ!ようはお店は消費者のニーズに応えて品数を増やす為に、仕入れ先を増やすということになるので、自然と今までのシェアは下がると考えた。先ず理解できたのは過去の売上グラフを真似していたら、私はこの地区の売上を落としてしまうということ。売上を伸ばす為には大規模な改造が必要だということ。私に合ったカスタマイズを考えました。


すぐカスタマイズに取り組んで、今までの売上上位店はみるみる落ちた。
それから一年経過して年間の売上データを振返って見たとき、私は手応えを得た。そのころ営業部長と営業課長の二人に呼び出されて、大阪府最重要店の売上がガタ落ちだとお叱りを受けた。私はこの事態を予測していたのでこう説明した…このお店は三店舗経営しており、過去の数字はその中の一店舗だけの高水準であり、残りの二店はベスト200にも上がらなかった。しかし実際は高いポテンシャルを持っており、三店舗を合わせた売上金額で見ると前年度130%です!・・・これが私のやり方であり、私を縛り上げようとしていたこのお二人は上っ面しか見ていないということ!私がどんな営業をやっているのか見ていない現れでしょうね・・・やるせない気持ちにもなりました。

大阪府は大好きな街の一つです!外国人を含めどんな人でも受け入れる人情の広さ…アホがヒーローにもなれる街!関東人というより気取ったヤツが大嫌い!

私は営業で大阪の住人よりも広く大阪中を歩き回っていた気がする。しかし大阪弁は使ったことがない。なぜなら私の強みはアウェイだからだ・・・これは弱みではない。自分の特色になる関東弁で押し通しました。

私は独りなので居酒屋など飲食店に入る。居酒屋に入るのが多いのはお酒が好きなだけではなく、日報を書いてから食事ができるのは22時以降。地方でこの時間食事ができるのは酒場くらいなのです。

大阪は居酒屋で独り飲む客は見当たらない、独りで飲むには立ち飲みやがある。立ち飲みやって大阪の文化だと思えます。

大阪の居酒屋で注文をする関東弁に、店内の空気が止る瞬間があります。隣の兄ちゃん達はとたんに話し声が小さくなる・・・これ面白い反応なのですがなぜでしょう?そんなに関東弁に拒絶反応があるの?でもこれを楽しんでいました!ちなみに独りで飲食店に入れない営業マンや金銭面で辛いときなど、弁当を買ってホテルの部屋でいただくという寂しいことになる。

 

地方営業はお金が掛かる!食事は外食のみ、出張備品、洗濯などなどすべて自前。携帯電話やPCの通信費は毎月固定額の支給で、オーバーした分は自己負担。出張手当¥0。一泊毎の宿代が固定額支払われるので、唯一これをやりくりするしかない。とにかく安い宿を探すのですが、大阪はバックパッカーが止るようなホテルやカプセル式もあり、一泊2千円台で泊まりれましたね・・・でもとても熟睡できる環境ではありません。

地方営業は眠れない!もともとホテルで眠れるタイプではない・・・新幹線移動も眠れず!それだけではなく移動中のストレスってすごいんです。見ず知らずの人が隣に座って、その状態で2.5時間も毎週往復!月曜日の始発で大阪へ最初の訪問先に着くのは10時から、金曜日の夕方に営業先を出発して途中で日報を書き帰宅するのは24時!ちなみに私は移動中にパソコンを使うと乗り物酔いしてしまうので、移動中はただ耐える時間!これを大阪だけではなくほぼ毎週繰り返していました。そして土、日は事務所当番もしくはイベント出展!今振り返っても笑えます。東京本社だけを構えて全国をカバーし、会社にとっては地方事務所の固定費を使わない賢いやり方。小さな会社が大きなことをやる仕組みです!

この仕組みに従い私のプライベートはほとんど無くなりました!友人とちょっと飲んでいこう?帰宅して趣味?家族との会話?歯医者に通う?ちょっと早く起きて掃除?なにか予約する?バスケ?などなど日々チョットだけの自分の時間すら無くなったのです。地方営業は仕事に集中するにはいい環境で、仕事のことしか考えていなかったし他にやることなかった・・・ほぼお客様のことしか考えないんですよ!この他にもたくさんあるけど、ハハハッこうして見るとやっぱりどうかしていますね(^-^;

嬉しいのはやっぱりお客様のお店事態の売上が伸びてくれること。どんなことであれお客様が喜んでくれること。お客様が私のことを評価してくれること。などなど社内で理解されなくてがんばれましたね(v^ー゜)ヤッタネ!!

精神的に体力的にギリギリな生活をしていたので鍛えられましたし、自分になかった力や自信などを授かりました。

地方の方々に感謝感謝でございます。

(人><。)

*1:゚゚дд゚゚

*2:゜Д゜Uu