とみお。のブログ

ひらめくままに!思いつくままに!!

1996~2002

これは私が毒を吐き出したいだけのネガティブ話なのでご注意ください[E:ban]

1996年2月に会社が設立し私は6月に入社、社内最年少で倉庫の責任者として働き出した。会社は100%アメリカ出資の外資系と言われる会社[E:building]同僚はどんな人かもわからずかき集められ、オーナーはアメリカ人で唯一接点があったのは日本人社長のみ・・・この社長と私はたまたま同じ街に住み、たまたまイベントで出逢った[E:sign02]私は当時他の仕事をしていたが、丁度嫌な時期を乗り越えて前向きに進みだしたとこころでした。そして日本人社長に声を掛けられた。だからチャンスだともい一緒に仕事をする道を選んだ。周囲の人は「浚われた」とも言っていた[E:bleah]

仕事が始まってみるとこの会社に経験も機材もシステムも、何の想定もないことを知った。ただ社長のワンマンな自信だけが会社を動かしており、私にはその自信の裏付けを知りえなかった。本社と倉庫は距離も信頼感も離れており、誰も助けてくれないしやるしかない現実。

当時私のお目付け役は本社経理のS氏、社長の利き腕で「君は一番社外に出して恥ずかしくない人間だ」とみんなの前で褒められるお方。倉庫の予算を出すのもこのお方で、2年間エアコンを付けてくれなかったお方。夜中にお方と電話でやりあったことも多々あり、私はみんなの前で「お前はクビだ」と笑いながら冗談で何度も言われた・・・信頼関係も何もない時期にこの発言は???。これだけではくこのお方の奥さんから電話が掛かってくると、今まで他の人とニコニコ[E:happy01]しゃべっていたのに「もしもし」と受話器に出たその顔は表情筋0ゼロ[E:gawk]で無表情の低トーン。100m先から奥さんからの電話だと分かるほど。このS氏のエピソードは多いが、多大な請求漏れなど発覚して辞職。

とにかく人間関係は1からのスタートだったし、倉庫と本社のコミュニケーションはひどい環境だった。途中で2年が過ぎて倉庫にも人員が増えだしたが、こんな若い会社にも本社 対 倉庫といった対立や擦り合いが生まれる。あるときお客先に[E:secret]新商品情報が伝わっていることが発覚して、倉庫にいたY氏が疑われた・・・理由はY氏がそのお客先と個人的に仲がいいからだ。だが倉庫はその逆でY氏がお客先から聞いて初めて知った・・・社内情報を社外から知ったというショッキングな出来事。真実はお客先に出入りしている同僚の営業マンが詳細をしゃべっており、本社にいる営業マンは大人しい性格のY氏になすりつけたのだ。これは本社と倉庫間の距離を感じた出来事で、その他に失敗の原因を倉庫側にされることが窺えた。どうにもやるせなく覆すことのできないジレンマだったが、弁解するにも不利な状況と言い訳が好きではない私の性格から発言を避けた(ノ_-。)

さらにエスカレートしたエピソードに当時の部長と係長の行動がある。社長はコミュニケーションが必要だと営業係長を倉庫の上司に付けた。私は「ヤッター、これで少しは救われる」と喜んだが、実際にはこの係長は風見鶏だった。倉庫では「そうだよね、倉庫側の言うとおりだよ」「本社の連中は何にも分かってないんだよ」「僕も本社の人達に言ってるんだけど、あいつら頭固いんだよ」・・・あるとき私の目の前でこの係長が一瞬にして方向を変えたことがあった、どうやら本社では真逆のことが発言されていると悟った「倉庫の連中はダメですよ・・・まったく言うこと聞かないし協力心がない」これに当時の部長が加勢して倉庫に乗り込んできたのがこれ。目的は倉庫側にお灸をすえる為、落とし穴を作りに来たのだ。この落とし穴は倉庫側に失敗させて反省させるという寸法。私達は判っていましたが仕方なく落ちました。自分で言うのもなんですが私とY氏は鼻が利くし、仕掛けた側のへたくそな芝居・・・失敗した我々に仕掛けた二人は鬼の首を取ったような顔で倉庫側に説教を始めた・・・未だに忘れられませんねこういうやり方は┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

おそらく原因は私の性格にあると思える[E:sign02]当時社内最年少でありながらいきなり責任者として商品在庫を守る番人を仰せつかり、とても高価な商品ばかりなのに倉庫のセキュリティーは無いに等しい環境でした。在庫管理もほぼされていない状況・・・ということは私の立場で商品を簡単に渡せる環境にあったのです。信頼関係のないこの時期に愛想よく振舞えば、私は結果として信頼を得られないと考えました。そこで頑固さのような堅さを表に出していました。なので同僚からは「あいつは言うことを聞かないヤツだ」と私の扱いに手を焼いたことでしょう[E:coldsweats01]

そもそも私は愛想よく仲間を作るタイプではないですし、当時のワンマン社長と喧嘩をするのは私くらいでしたから[E:bleah]社長から「君はガラスのようだ」と言われるほど私は張りつめていたとおもいます^^[E:sign02]それは今でも間違っていたとはおもっておりませんがヾ(´ε`*)ゝ

それと本社から落ちこぼれた人が倉庫に流れ着くことがありました。例えば私よりも若い社員U氏が営業として働き出し、愛想のいい人だったのでいろいろ重宝されていた。しかしミスの多い人でもありミス=U氏というキャラクター。やがてどんなミスもU氏に被せる傾向が強くなり、最後は雑巾のようにモミクシャにされて倉庫に追いやられた。辞めさせなだけいいのかもしれないが、本社側で手が掛かるとみなすと倉庫側でやってくれという流れが多々あった[E:bearing]

何故だろう・・・ミスの多い人へ自分のミスも乗っけるのは???

U氏は倉庫に来て少し立て直して信頼性も回復しだした。U氏は目立ちたがりということもあり、調子を上げた自信をまたも本社へ自己アピールしだした。私はまだ時期が早いと考えていたが、本社も重宝する使い勝手のいいU氏を拒むこともない。その後すぐに本社へカムバックして、お調子者(雑巾)として消えていなくなった。

そんなこともありながら5人程度の作業員が在中する程度までいった倉庫でしたが、2001年にアメリカの親会社が突如倒産した。このとき日本の社長がすぐさまアメリカの裁判所に申し立て、結果この会社は日本側で社長が買い取ることができた。知る人は判ると思うがこれは奇跡です[E:shine]私はこの当時この社長を信じることしかできない立場で、この社長でダメなら駄目さ・・・と腹を括ったのを思い出します[E:confident]

買い取った会社を先ずはリストラ[E:punch]当たり前ですね。整理して無駄を省くことを実行しないと銀行もお金は貸してくれない。元々利益に対して相場よりも人数の少ない筋肉質な会社だったので、大がかりな人切りは無かった。一番大きかったのは倉庫業務のアウトソーシング・・・これは元々社長が倉庫に理解を示していないし一番苦手な分野だし、世間ではアウトソーシング化が進んでいたころだったので、今考えてもそりゃそーですよねって思います(^-^;

倉庫がいらなくなったことは私にとって不幸でしたが、ただ比較対象は会社の存続だと考えると、代償がこれほど小さく済んだのもまた奇跡だと考えます[E:shine]私はこの事態に関して誰も怨んでませんし、むしろ助かって良かったと思っています。この社長をすごい人だと感じたことの一つでもありました[E:good]

今振り返ってもこの時期の社長(現会長)が今までで一番しんどそうな姿でした。私はこの強い背中を見れたことに感謝しています[E:confident]これが男の背中なんだな~って思いました[E:delicious]

2002年会社は日本法人化・・・倉庫業アウトソーシング[E:sign01]

私は空っぽな倉庫から始まり、最後に倉庫を空っぽにして出ました。

倉庫の近所から来てくれていたパートさんは自ら辞め、O氏はマーケティング、もう一人のY氏はアウトソーシング先へ管理者として散らばりました。

私の行く先は営業部[E:sign03]倉庫という守りから営業という攻めへ[E:sign02]

この会社はトップが大声で「この会社は営業会社だ[E:sign03]」と宣言するくらい営業を鍛え上げている花形部署  アワ*1ワワ!!

私を営業部に送るのは社長の賭け[E:sign03]私は難しい人間だし今まで逆らってきた部分で、営業員から私に対する怨みがあっても不思議ではない。昨日まで倉庫の主任だった私を年上の営業マンが「主任」って呼ぶくらい営業部も困惑している状況。社長としては私がどの部署でも続かないかもしれないというリスクもある。この時点で会社にとって私は辞めても辞めなくてもいいし、辞めたとしても自ら辞める側面になるからだ・・・このどちらでも会社に損が少ないのが社長のカリスマ的やり方でもある[E:smile]

いずれにしても私の人生のターニングポイントが、自分の意志ではない時に辞めるのは絶対嫌だとおもう頑固さが私[E:smile]この会社に転職した時と同じで嫌だと思う時にチャンスは来ないし、周囲からの「こいつ辞めるだろうな[E:sign01]」という期待には応えません ( ̄ー ̄)ニヤリ

さて、このお話のさきはどうなることやら[E:sign02]

ヤレヤレ ┐(´(エ)`)┌クマッタネ

この6年はいろいろな方に助けられました。とくに社外の方には気持ちの面でも助けられました。業務を上手くできず社内の方には多大な我慢を強いたとおもいます。

当時の若造に大きな責任をもたせていただき、一から積み上げる貴重な経験の場所と役柄を与えていただきました。とても勇気のいることだったとおもいます。

この当時を振り返り仕事とは無関係な友達と話をすると、当時の私は死にそうな顔をしていたそうです(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ・・・今は笑えます。当時は休みなく一日15時間は拘束されていましたからね[E:coldsweats01]そいろいろバスケなど付き合いも途切れ、仕事以外の人間関係も激減しましたね[E:down]

でも濃い思い出もいっぱいです[E:happy01]

私に関わってくれた皆様に感謝・感謝でござます。

ありがとうございました m ( _ _ ) m

*1:゚゚дд゚゚